『海峡点描』

“海の上を走っていたレール”のお話です(ヤフブロより引っ越し作業中💦)

2016年05月

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ブログを始めて2週間。
ただ今「HPで公開していなかった画像が無いものか」と、我が家のネガ&写真箱をほじくり返している真っ最中。
無造作に山積みされた写真を捜索したら、青森港内で船尾を補助汽船‘たっぴ丸’に押されて180°回頭する『石狩丸』を、補助汽船岸壁から撮影したのが出てきました。
船体が近かったのにカメラに望遠レンズをつけ‘目一杯’引き寄せて撮ったものですから、画面からはみ出しそうなくらい大写し。
「コレは余りに迫力あり過ぎ」と思い、長らくボツにしていた写真です。

青函連絡船は船尾より貨車を積み込み/積み下ろし。
函館駅では岸壁に対して「斜め」に入港するので旋回角度も大きくありませんが、青森駅は直進入港→グルッと180°ターンして船尾を可動橋につける必要があります。
撮影当時は青森港再開発の工事は着工しておらず、補助汽船桟橋は私のような学生でも比較的立ち入りが自由にできました。

曇天の空の下。
少し西に傾いた太陽の薄明かりを船体に反射させ、青森駅に入ってきた152便『石狩丸』。
補助汽船と連絡船との‘息がピッタリ合った’着岸作業は、まるで流れるように進行・・・・。
船尾甲板では作業指示役の二等航海士さんがウイング上に立ち、機器操作やヒービングラインを岸壁に投げる甲板員さんがスタンバイしています。
港内に響く‘たっぴ丸’の甲高い汽笛に時たま驚かされながらも、飽きずに眺めていたのも良き思い出です。

定刻13時35分、無事に接岸終了。
自動車用タラップが掛けられて、船内から長い船旅を終えた車たちの下船が始まります。

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函館駅の正面にある7階建てのデパート「棒二森屋アネックス館」。
ここは函館駅の連絡船岸壁に出入りする船逹の、格好の撮影場所でした。
連絡船乗組員だった金丸 大作さんの写真集『青函連絡船』の中にも、棒二デパートからと思われるショットがあります。
望遠レンズ付きの一眼レフを手に、人々で賑わうデパートへ入るのは気が引けましたが、買い物ついでの撮影ポイント探し。
港が見える、非常階段の踊り場でカメラを構えました。

入港してきたのは、23便‘大雪丸’。
200mmレンズ×2倍のリアコンバーションレンズを付けた古いカメラは結構重く、ピントも手合わせなのでブレないように撮るのが一苦労。
(もちろん三脚なんて気のきいた物はありません)
港口から静々と桟橋へ近づく‘大雪丸’を、望遠と標準の二種類を取り替えながら数カット撮影。
それが精一杯でした。

2013年・・・・終航から25年が経ち、函館の港も駅も様代わり。
東日本フェリー(元・函館商船)の‘野辺地丸’が係船されている後ろの建物も、函館名物ゴライアスクレーンも既に解体。
もう一度おなじ位置から撮影したら、どのような光景が撮れるかナ?
再び函館へ出かける機会があれば、試してみたいような試してみたくないような・・・・。

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私が撮影した連絡船写真。
ブログの使い方も徐々に慣れてきたので、今日から少しずつupしていきたいと思います。
ただ画像はHP 『海峡点描』から移設したもの 。
転載防止の記載があるのは、ご了承ください。
一枚目は、今年惜しまれながら愛媛県で解体された『羊蹄丸』。
その国鉄時代の写真です。

撮影場所は函館第二岸壁 。
ワインレッドの大きな船体が回頭を終え、ゆっくりと港口へ向け離れていきます。
季節は冬・・・・。
乗船客も少ないのか、こちらに手を振る人影もありません。
見送り客も雪に追われるように待合室を出ていってしまい、桟橋上で撮影しているのは私一人。
津軽海峡もきっと荒れ模様・・・・きつい航海になりそうです。

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私が横浜に住んでいた25年近く前、東海汽船バス(現・大島バス)の写真を撮るため伊豆大島への行き来で使った客船『かめりあ丸』。
東京・横浜~伊豆七島をむすぶ‘東海汽船’の所有船です。
現在は2014年に就航した「橘丸」と入れ替わり廃船となりましたが、上京した時は就航して間がなかったので塗装も新しく、船室もまだまだ綺麗な状態。
何となく新造船の香りを漂わせていました。

写真は6年前の竹芝ふ頭。
イーハトーヴォから嫁さん+子供たちと東京へ遊びにきたとき、浅草から乗船した水上バスから撮影したもの。
頭の中に残っていたピカピカの『かめりあ丸』とは程遠い、煙突のペンキは剥げ錆の浮いた船体・・・・。
そろそろ引退も囁かれていた頃。
桟橋に横付けされた姿も、なんか寂しそうに見えました。

【かめりあ丸】
総トン数3751t
内海造船瀬戸田工場/1986年3月竣工
全長102.8m/全幅15.0m
定員/1765名(新造時・沿海)
東海汽船(かめりあ丸/1986~2014)→海外売船(インドネシア/2014)



「猫もノローグ」掲載(2014.11.5up)時に頂いたコメントと返信です。
(この記事はめるさんからナイスを頂きました)

写真を見て大きいと思いましたが全長102mなら大きいですね♪たくさんの方を乗せて海を走ってきたんでしょうね♬ ぴかぴかよりもなんだかこっちの方がいろいろ思えるような気がします(*^^)
[ めるさん ]2014/11/5(水)
>めるさん。
関東のの船好きにとって、東海汽船のフリートは身近な客船。
東京圏に住む船キチなら必ず乗船したことがあると言っても過言ではないかも。
102mと言っても横浜港経由便に乗った際、大桟橋に海外のクルーズ客船などが接岸しているとサッパリ大きく感じません。
しかも東京湾を出て相模灘に差し掛かると、冬場は風が強い日が多く、一旦海が時化れば揺れる揺れる((((*。*;。
私もこの時期に乗船すると、ガブられた記憶しかありません(笑
(YouTubeで時化の海を行く‘かめりあ丸’映像が結構見れたりします)
1万トン以上ある大型フェリー並みとは言わないが、もう少し大きい船を就航させてほしいなあ・・・・フラフラになりながら下船した未明の大島岡田港で良く思ったものデス。

かめりあ丸に代わって今年就航したばかりの「橘丸」も全長118m・総トン数5681tと、あまり大きさは違いません。
外洋に面した防波堤のない伊豆七島の港に着岸するには、この大きさが限度なんでしょうか(~^*)
[ 猫も ]2014/11/6(木)

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貨物船の甲板上に車を乗せて輸送する・・・・。
一見すると乱暴そうな、またカーフェリー全盛期の現在では前時代的な方法ですが、東京~伊豆諸島間では今でもこのやり方で島内に車を運んでいます。

伊豆諸島の旅客輸送を一手に引き受ける「東海汽船」は、カーフェリーを就航させていません。
今年6月にデビューした新造船「橘丸」も車を積まない貨客船として建造されました。
車両航送需要や採算性の問題、島内交通の保護、外洋に面した波の荒い伊豆諸島各港ではカーフェリー着岸が難しいなど理由は色々あるようですが、島に住む人たちにとっては不便な感じがします。

「伊豆七島海運」は東海汽船の貨物専門子会社。
島内の‘一杯船主’が所有する貨物船をチャーターして、旅客便では積載する事のできない車や重量物・大量の生活物資などを運搬。
伊豆諸島の大切なライフラインを担っています。
『第二十三福寿丸』は前部にデリックを備えた小型貨物船。
詳細は不明ですが、大きさは総トン数500t・・・・いや300tあるかないかという程度ではないでしょうか。
そして貨物ホールドの上には横向きに積載した乗用車が2台。
車の後部には緊縛具でシッカリ固定しているのが見えますが、船が小さいのでローリングが激しいと転落しないか心配になってしまいます。
もちろん潮は浴びまくり・・・・。
こんな形で自家用車からトラック、はては大型バスまで島々へ送り届ける「伊豆七島海運」の船達。
まさに縁の下の力持ちです。

ちなみに『第二十三福寿丸』は既に引退しています。

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