『海峡点描』

“海の上を走っていたレール”のお話です(ヤフブロより引っ越し作業中💦)

カテゴリ: 連絡船が見せた‘時’

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青森駅の改札をくぐりホームへ続く跨線橋の階段を上がると、岸壁に着岸している連絡船達の姿がありました。
一岸には『摩周丸』、二岸には『十和田丸』。
摩周丸は貨車の積み降ろし作業の真っ最中。
十和田丸が先発便になるのでしょうか。
北海道に新幹線ができるなんて、まだまだ先の話だった時代。
旅人の上を時間がゆっくりと流れていた青森駅・・・・。

東北育ちの私にとって、函館駅より青森駅の雰囲気が好きでした。
駅構内に進入する583系『ゆうづる』B寝台の大きな窓から見た青函連絡船は、忘れられない光景。
もう遥か彼方の遠い思い出です。

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写真は有川桟橋に「日高丸」と「十勝丸」が繋がれていた1985(昭和60)年頃、青森へ向かう連絡船上から撮ったもの。
沖泊まり「石狩丸」の向こうに『謎の船』が繋がれています。
有川岸壁は、可動橋のある側(第3岸と第4岸)も可動橋の無い側(第5岸)も国鉄の所有だったはず‥‥ですが、どう見ても国鉄の持ち船には見えません。
船体が平べったく船橋もノッペリしているので、連絡船相手の給油船か給水船ではないかと思っていました。
でも連絡船岸壁には固定式の給油・給水施設があったはずだし‥‥。


有川5岸(旧LST用貨車航送岸壁)に停泊しているのは、オイル除去船『アトム号』
後でこの書き込みを見た道内在住のブロガーさんから情報を頂いて、船名と用途が判明。
長いこと悩んでいた謎がやっと解けましたw

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カメラにセットしたレンズは100mm。
青森駅の連絡船桟橋待合室から見た眺めです。

出港する‘摩周丸’と見送る‘羊蹄丸’・・・・。
旅客便が出た後の待合室は、ヒッソリとして寂しい。
一人でポツンとカメラを構えていると、『早く次の連絡船か接続列車がこないものかナァ』と思ったものです。

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青函連絡船最後の年を迎えた函館港。
正月減便で沖出しされた船達が並んでいます。
左から『檜山丸』『空知丸』『大雪丸』の順。
もう一隻『石狩丸』も係船されていましたが、写真には写っていません。

ピントも天気も良くないので、少し画像を加工。
それでも今一つ‥‥。
晩年就航していた連絡船の全タイプが1枚に収まった写真‥‥「ふ~ん、こんな風景もあったんだ」程度で見てください。

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青函連絡船があった時代って、函館が今より元気だった気がします。
人も町も活気に満ち、海も山も空でさえも新鮮な空気が流れていました。
駅の連絡船桟橋でスタンバイする摩周丸と石狩丸。
「函館」が覚えている街の記憶。
人から聞かれたら、「ええ、今でも連絡船は動いてますよ」と錯覚して、つい答えてしまう・・・・自分の中では30年も前の画像だなんて嘘みたいです。

トンネルができ新幹線ができる。
でも函館は静かで、なぜか寂しい・・・・。
港と市街地に鳴り響いていた長声一発、写真を見ていたら無性に聞きたくなってしまいました。

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