『海峡点描』

“海の上を走っていたレール”のお話です(ヤフブロより引っ越し作業中💦)

カテゴリ: 青函連絡船(八甲田丸)

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今日(12/7)未明、北海道新幹線の試験車両が初めて青函トンネルをくぐり、本州へ上陸したとの話をwebニュースで知りました。
私たちの世代が津軽海峡を4時間近く掛けて渡っていた時代は、すっかり遠い過去。
青函連絡船に乗った者には昨日の事に感じますが、平成生まれの鉄道ファンにとって連絡船は廃止された路線の一つでしかないのかもしれません。
新幹線は便利な魔法の杖。
とても不思議な「どこでもドア」。
・・・・でも、そこに旅情は無いような気がします。

青森一岸に着岸した『八甲田丸』。
これから夜行便として函館への出港待ち。
明かりがついた船室の窓一つ一つに、海を渡る様々な人たちが乗船しています。
私も、この明かりの中にいるのが好きでした。
そして今でも、船の明かりの中にいるのが好きです。
函館は海から見た姿が美しい街。
船から眺めて、本当の函館に触れてみたい・・・・。
だから北海道新幹線が開業しても、海峡はフェリーを利用して渡ると思います。

たぶん、きっと・・・・。

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(※クリックすると横1600pixelの画像になります)

青函連絡船が廃止されてから大きく変わった函館の街。
駅も駅前もあまりの変貌の速さに、たまに来ると記憶している姿とギャップがありすぎて只々呆然としてしまいます。
特に急速に観光地化された元町周辺は、もう驚くばかりの変わりよう・・・・。
函館港内をゆっくり進む『八甲田丸』の背景も、北海道新幹線が半年後に開通する今の風景とはまったく違っているのではないでしょうか。

私にとって函館は良い町、好きな町。
でも昭和の町並みがドンドン壊され、デザイン重視の建物やモダンな明治風の建築様式を真似た施設ばかりが増えると、少しだけ寂しい気持ちにもなります。
新幹線ばかりがクローズアップされ、地上からの視点が重視されている函館。
ここらで港から町並みを見直す時期に来ているのかもしれません。

・・・・連絡船が好きだった者の独り言です。

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猛烈な吹雪・・・・港内にもかかわらず激しく沸き立つ海。
そんな中を、函館第2岸壁へ懸命に着岸しようとする青函連絡船『八甲田丸』。
船尾を押す補助汽船「ひうら丸」と共に、吹きつける風に逆らいます。

最後の冬となった1988(昭和63)年1月、函館桟橋送迎デッキからの撮影です。
この日はひどい荒れ模様。
しかし視界の利かないような天候でも、‘海の鉄路’として安全上許される限界まで運航を続ける鉄道連絡船。
近づいては離れを繰り返しながら、それでも徐々に岸壁へ。
プロムナードデッキから見守る船客たち。
無事接岸し下船してきた人々を見れば、どれもホッとした表情をしていました。
でも乗組員は50分後、再び時化の海峡へ連絡船の舳先を向けます。

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2012年9月・・・・。
動かなくなった本船を目にするのは、これで4回目だったか5回目だったか。
同行は当時幼稚園だったJr2号。
「ブルートレイン(実際は‘あけぼの’のゴロントシート)に乗せてあげる」「北海道に連れていってあげる」との言葉に釣られて、私の深夜長時間ドライブにお付き合いです。
内輪の‘八甲田丸船内見学会’に誘われ、それに参加するため国道4号線をひたすら北上。
早朝、小湊の連絡船遺構へ立ち寄り、午前8時前くらいに青森港へ到着しました。

見学会を主催してくれたのは「山さ行かねが」でお馴染みの‘ミリンダ’さん。
このブログでも何回かご紹介しましたが、青函連絡船『八甲田丸』の保存に尽力されている方でもあります。
船内見学の引率は‘ミリンダ’さんと、青函連絡船の機関長だったKさん。
参加者は地元青森から鉄道研究家のTさん、それと私+Jr2号の合計5名。
小所帯の非公式見学会です。

現地に早く着きすぎたので、寝ぼけまなこのJr2号を連れ『八甲田丸』の周りをウロウロ・・・・。
他のHPに掲載されていた‘ベイブリッジからのアングル’で撮ってみたくて展望台へ。
眼下には、縦長に横たわる黄色い船体。
いつの間にか津軽海峡を忙しく行き来した時より、係留されてからの年月のほうが長くなりました。
船内に連絡船の歴史を詰め込み、今は訪れる人に昔話を語り続ける。
人気のない静かな風景を見ていると、まるで安楽椅子にゆったりと腰を下ろす古老のようです。

船内見学会の様子、予算と時間の都合でDPE屋へ行けなくて未だフィルムを現像に出していません(ミリンダさんゴメンナサイ!)。
変色する前に(もう劣化してるかも)仕上げて、ブログで紹介したいと思っているのですが・・・・(汗

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